御座所

 明治15年(1882)霊明殿炎上とともに、庫裡・書院も焼失した。
 明治天皇は、霊明殿の再建と併行して京都御所内にある皇后宮の御里御殿をお移しになった。この建物は文化15年(1818)に造営されたものである。
 御殿は西に御車寄があり、これに続く一棟は六室に別れ、南側は西から侍従の間、勅使の間、玉座の間、北側は西から女官の間、門跡の間、皇族の間と呼んでいる。
 南東玉座の間は一段高くなっており、特徴ある違い棚が備えられ、障壁の瑞鳥花弁図は狩野永岳筆である。東北の室はかつて皇后御産の間であったところで、すべての部屋の襖はいろいろな主題の絵が描かれ、付属建物の襖絵と合せて、宮廷生活の一端が偲ばれる。なお御座所は両陛下はじめ皇族方の御陵御参詣の際の御休所として現在も使われている。
 南東玉座の間は一段高くなっており、特徴ある違い棚が備えられ、障壁の瑞鳥花弁図は狩野永岳筆である。東北の室はかつて皇后御産の間であったところで、すべての部屋の襖はいろいろな主題の絵が描かれ、付属建物の襖絵と合せて、宮廷生活の一端が偲ばれる。なお御座所は両陛下はじめ皇族方の御陵御参詣の際の御休所として現在も使われている。





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