文化財・施設

  • 大門
    大門

    大門

    泉涌寺道を登った所、伽藍の最も高い位置に建つ大門は、「東山」 の額を掲げて東山門とも呼ばれます。 慶長度内裏の南門を寛永年間に移築した四脚門で、屋根は切妻造の本瓦葺き、組物は三斗組で妻に板墓股を用いています。 とくに入り側の墓股には唐獅子・龍・膜麟・ 2莫などの霊獣彫刻があるなど桃山建築の遺風を感じさせ、簡素ながら堂々とした正門となっています。

  • 泉涌寺水屋形

    泉涌寺水屋形

    泉涌寺の淵源は、天長年間に弘法大師が草庵を結んだとも、藤原緒嗣の建立した法輪寺とも伝わりますが、やがて仙遊寺と改称されます。 建保6年(1218)に宇都宮信房から寄進された寺地に、俊抗律師が伽藍を造営した時、清水が涌き出たのにちなみ泉涌寺に改めたものです。

    泉涌寺の名の由来となった清泉を覆う屋形で、寛文8年(1668)の再建です。屋根は入母屋造り、妻入正面に軒唐破風を付けた杮葺、正面に桟唐戸、上部には弓欄間も見られます。内部は別所如閑筆の「雲龍図」のある鏡天井となっています。泉水は今も尽きることなく涌き続け、開山律師の仏教興隆への思いが伝わってくるようです。

  • 仏殿
    仏殿
    大涅槃図
    三尊仏

    仏殿

    大円から「降り参道」をおりれば正面に建つのが仏殿で、寛文8年(1668)四代将軍徳川家綱によって再建された本堂です。外見は重層建築のように見えますが、じつは裳階の付いた一重入母屋造りの本瓦葺き建物です。大屋根の軒に扇垂木、組物は詰組、勇壮な花頭窓など、本格的な唐様建築(禅宗様式)の特徴を完備した代表作として、国の重要文化財となっています。建物内部は天井まで組物がつらなる空聞が美しく、高い須弥壇には運慶作と伝わる阿弥陀・釈迦・弥鞠の三尊仏が安置されています。

    現在・過去・未来をあらわす「三世仏」は、国内では珍しいものですが、俊荷律師が留学した宋代寺院に流行していた形式です。天井に描かれた「雲龍図」は有名ですが、本尊背後の「飛天図」、裏壁の「白衣観音」もすべて狩野探幽の筆になるものです。

  • 舎利殿
    舎利殿
    舎利殿

    舎利殿非公開

    舎利殿は、釈迦の歯(仏牙舎利)を奉安する貴重な霊殿です。慶長年間、京都御所の建物を移築改装したもので、仏殿と同時代に現位置へ移されました。開山俊芿律師が熱願された舎利を、弟子の湛海律師が安貞2年(1228)に宋朝より将来して祀られたものです。現在寛喜2年(1230)将来された韋駄天像・月蓋長者像(共に重文)とともに内陣に奉祀されています。毎年、請来の日とされる10月8日(旧暦9月8日)には舎利会法要が営まれ、多くの参拝者でにぎわっています。

    また舎利殿は謡曲『舎利』の舞台としても名高い。天井には狩野山雪筆の龍図が描かれ、「鳴龍」としても知られています。

    舎利塔の中には、仏牙舎利が納められ、左右には月蓋長者・韋駄天が従います。謡曲『舎利』はこの仏牙が盗まれ、韋駄天が取り返す物語です。

    御内庫左右の板壁面に各八体ずつ描かれた十六羅漢像で、第六代・木村了琢の筆。寛文8年(1668)に完成しています。

  • 霊明殿
    霊明殿
    霊明殿
    霊明殿

    霊明殿非公開

    可憐な唐門から白砂の庭のむこうに奔されるのが霊明殿です。霊明殿とは、歴代天皇の御尊牌(お位牌)をお把りした場所の通称ですが、泉涌寺の霊明殿は皇室の御崇敬において他に異なるものがあります。現在の霊明殿は、明治17年に明治天皇の思し召しによって宮内省が再建したもので、重厚な入母屋造り檎皮葺き、外観は辰殿風、すべて尾州槍材で造られた品格ある建築物です。殿内は内陣・中陣・外陣に分かれ、内障は5室の御厨子となっています。それぞれに御扉を設け、中央御扉内には四条天皇御尊像と御尊牌をはじめ、明治天皇・昭憲皇太后・大正天皇・貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后(皇室祭杷令の定める前四代)の御真影・御尊牌が奉安されています。 それ以前の天皇・皇后・門院方の御尊牌は左右の御扉内に、さらに左右には親王・内親王方の御尊牌も奉安されています。
    内部の荘厳具・仏具は、英照皇太后・昭憲皇太后ほか皇族方から御寄進されたもので、毎日御廻向の香畑の絶えることがありません。

  • 御座所
    御座所
    御座所

    御座所

    明治15年(1882)霊明殿炎上とともに、庫裡・書院も焼失し、明治天皇は、霊明殿の再建と併行して京都御所内にある皇后宮の御里御殿をお移しになりました。この建物は文化15年(1818)に造営されたものです。御殿は西に御車寄があり、これに続く一棟は六室に別れ、南側は西から侍従の間、勅使の間、玉座の間、北側は西から女官の間、門跡の間、皇族の間と呼んでいます。南東玉座の間は一段高くなっており、特徴の違う棚が備えられ、障壁の瑞鳥花弁図は土佐派の宮廷絵師の筆です。東北の室はかつて皇后御産の間であったところで、すべての部屋の襖は様々な主題の絵が描かれ、付属建物の襖絵と合せて、宮廷生活の一端が偲ばれています。なお御座所は両陛下はじめ、皇族方の御陵御参詣の際の御休所として現在も使われています。御座所の東南から御殿の南側にかけては、小さな御庭が築かれています。霊明殿・御座所・海会堂そして御陵拝所に取囲まれた御庭は、小さいながらも無比の環境の中に自然と人工の巧の業を織りまぜています。低い築山の裾に曲折する池の汀、ひかえめに咲くさつき、真紅の紅葉、薄すらと雪化粧した雪見灯篭に映える梅もどき等々、四季折々に楽しませてくれます。

    昭和天皇はかつて御陵参拝の際にこの庭をめでられ、「春ふけて 雨のそぼふるいけ水に かじかなくなり ここ泉涌寺」の御製をお詠みになられました。

  • 海会堂

    海会堂

    本来の海会堂は、近世における泉涌寺最大の本堂建築でした。明治4年(1871)5月に宮中の神仏分離策として、京都御所の御黒戸(御仏間)が搬出されて恭明宮が成立しますが、さらに明治6年(1873)3月に恭明宮を移築したものが現在の海会堂にあたります。土蔵造り塗龍めの御堂は、外面は白壁塗りで床も高く、屋根は宝形造り本瓦葺きです。内陣に安置される大小の御厨子には、宮中から搬出された歴代天皇・皇后・皇族方の御念持仏30数体が杷られています。海会堂の本尊は阿弥陀如来坐像で、「開山俊荷律師像(京都府指定)をはじめ歴代先住代々宗師の位牌なども併記されています。

  • 月輪陵 開山堂

    月輪陵・開山堂非公開

    霊明殿の東に鎮まる陵墓は月輪陵(つきのわのみさぎ)・後の月輪陵と呼ばれる。四条天皇をはじめ後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓が営まれている。ここに鎮まるかたがたの御葬儀は泉山長老が御導師をお勤め申しあげ、御陵もすべて仏式の御石塔でお祀りされている。また月輪陵の背後の山腹には、南に孝明天皇の後月輪東山陵、北に英照皇太后の後月輪東北陵が築かれている。
    境内の東南の最も奥まった場所に歴代長老の墓所があり、その中央小堂内に開山俊芿律師の無縫塔(重文)が祀られている。日本最古のもので、北に並ぶ2基(重文)をはじめ、各時代の無縫塔40余基が左右に整然と並ぶ実に美事な聖域である。
    ※開山堂は非公開です。

  • 楊貴妃観音堂
    楊貴妃観音堂
    楊貴妃観音堂
    楊貴妃観音堂

    楊貴妃観音堂

    大門を入って左手奥の堂で、六羅漢像の中央に聖観音(楊柳観音)が安置されています。聖観音は湛海律師が寛喜2年(1230)に南宋から請来した木像です。像容の美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の面影を写させて造像したとの伝承を生み、江戸時代初め頃から「楊貴妃観音像」と呼ばれ信仰されています。特に彩色が多く残り、生けるが如くに端坐する御姿は、その名に相応しい尊像です。多くの女性から美人祈願の観音様として親しまれています。

    大門を入って左手奥の堂内、六羅漢像の中央に安置される聖観音像(重文)で湛海律師が寛喜2年(1230年)月蓋長者像・韋駄天像などとともに将来された像である。

  • 心照殿

    心照殿

    名称の「心照殿J は中御門天皇から俊荷律師に下賜された国師号「大円覚心照国師」から拝借して命名されました。泉涌寺に伝わる開山大師の墨跡を始め、とくに歴代天皇の御尊影・御遺品ほか、仏画・経典・古文書など、国の重要文化財や府・市指定の文化財および未公開資料も多く収蔵しています。 一般の目にふれることの少ない品々を、年四回の企画展によって見ていただいています。

    ※毎月第4月曜日は休館しております。拝観についての詳細はこちら≫をご確認下さい。